🔍 邪馬台国の謎を解き明かす『魏志倭人伝ぎしわじんでん』の訳


今回の『魏志倭人伝』の訳と解説は、【第3部】となります。

【原文の構成】

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📺 『魏志倭人伝』の原文と直訳

【原文と直訳】(中央政府)

收租賦 有邸閣 國國有市 交易有無 使大倭監之

税を徴し 邸閣(高官が居住する邸宅)ありけり 各国とも市場ありて 外国交易の許可 大倭大倭日高見国おおやまとひたかみのくにの監督下にあり


自女王國以北 特置一大率 檢察諸國 諸國畏憚之 常治 伊都國 於國中有如 刺史

女王国の北の港 特に一人の〝大率〟置きて 諸国交易 検察し 諸国これ恐れ 畏敬す 政治の要 常に 伊都国 なりて 全国監視の〝刺史〟如き役人あり


王遣使詣 京都 帶方郡 諸韓國 及 郡使倭國 皆臨津捜露 傳送文書 賜遣之物詣女王 不得差錯

女王国 使者を 魏の都 帶方郡(北朝鮮域) 諸韓国 及び〝魏〟が倭国に派遣するに際し 皆 津で捜索し 文書を伝え 女王に贈る物を遣わす 誤りは1つもあってはならぬ


下戸與 大人 相逢道路 逡巡入草 傳辭說事 或蹲或跪 兩手據地 爲之恭敬 對應聲曰 「噫」比如然諾

身分低き者 宮廷貴族と道すがら出逢うことあらば 恐れ多くも草むらに身を隠し 事を語る その振る舞い まこと慎ましく 時にはしゃがみ 時には跪き 両手を地につけ 敬意を表す 応答は「噫」のみ しかるに同意の意を示すなり


其國本亦以 男子爲王 住七八十年 倭國亂 相攻伐 歷年 乃共立一 女子爲王 名曰 卑彌呼 事鬼道 能惑衆 年已長大 無夫壻 有男弟佐治國 自爲王以來 少有見者 以婢 千人自侍 唯有 男子一人 給飲食 傳辭出入 居處宮室 樓觀 城柵嚴設 常有人持兵 守衞

その国本来 男性が天王なりし 七八十まで生きる 王倒れし後 倭国乱れ 年月を経て争い給う 遂には女性 卑弥呼と申す者 王に立てり 神道に通じ 人々導く神秘の力を持ちし 年すでに高く 夫 子ともになし 弟より国の治め助け給う 王即位後 人目に触れず 千人の女官遣わりて ただ一人の男性のみ 出入り許され給う その宮殿 楼閣立ち並び 城壁厳重にて 常に武装したる者 警固にあたり給う


女王國東 渡海千餘里 復有國 皆 倭種 又有 侏儒國 在其南 人長 三四尺 去女王 四千餘里 又有 裸國 黒齒國 復在其 東南 船行一年 可至 参問 倭地 絶在海中洲㠀之上 或絶或連 周旋可 五千餘里

女王国の東 海を渡りて千余里 再び国々あり 皆倭の種族なり その南に侏儒国あり 人の身長 三尺から四尺にて 女王国より四千余里の距離 また 裸国と黒齒国 その東南にあり 船で一年かけて到達せしめる 倭の地を調べるに 海中の島々に位置し 島々は断続的に連なり 周囲は五千余里に及ぶ大国なり

テーブルデザインピンク2行 ほえ〜中国語 も 訳も、どっちも分からない! もっと分かりやすく解説してほしいです……
直訳のままでは、内容の理解は難しいですね。 以下に【原文】の現代訳バージョンでの説明を用意しましたので、どうぞ。   ・    ・ 
三国志 Records of the Three Kingdoms 『魏志倭人伝』第1書 (陳寿Chén Shòu

「遥か東方の島国の地」のさらなる報告、その地の政治や女王陛下に関する情報が、もたらされました。 恐れ多くも、ここに謹んで報告させていただきます。


倭国の地におきましては、税収制度のシステムまで見られ、貴族や大臣などの高官が居住する邸閣までございます。 市場は全国各地に設けられておりますが、外国との交易に関しては、中央政府の厳しい監督のもとに行われており、勝手な取引は許されていないようです。 女王国の北の港には「大率」と呼ばれる責任者が置かれ、諸国の交易を検察しております。 この「大率」は、諸国から恐れられ、畏敬を受けており、中央政府の権威は巨大なようでございます。 政治の中心は、何十年も「伊都国」のままで、全国を監視する「刺史cì shǐ(中国語)のような役人がおります。 女王国では、魏の首都や帯方郡(北朝鮮だが、当時は魏の支配下)、諸韓国(古代朝鮮半島の諸国)が倭国へ使者を送った際、船が港に入るときには特別な手続きがありました。 皆で入港時に目的を確認し、持ち込まれる品物や外交文書を検査して、女王への贈り物や文書への厳しいルールがありました。 ここでの誤りは、外交関係における誤解やトラブル防止のため、最大限の注意が払われてたとのこと。   ・    ・  身分の低い者が宮廷貴族と道すがら出会った際は、恐れ多くも草むらに身を隠し、その振る舞いはまことに慎ましく、時にはしゃがみ、時には跪き、両手を地につけて敬意を表していたとのこと。 貴族側の応答は「あい」と受諾の意を返します。 倭国の歴史においては、元々 先代の王『神武天皇』が70〜80歳まで生きたものの、王が崩御された後、国は混乱に陥り、年月単位の後継争いが続いた末、女性である卑弥呼が、皆に請われて王に立てられました。 女王陛下は、鬼才のように神道に精通し、その神秘的な力で民を導く力を持っておりました。 年はすでに高く、夫も子もなく、弟が国の治めを補佐しておりました。 しかし、女王陛下が王となられた後は、天の声を聞くのみに集中するため、ほぼ人目に触れることはなく、千人の女官(巫女集団)が遣え、ただ一人の男性のみが飲食の世話や言葉の伝達を担い、宮殿の出入りを許されていたとの報告。 その宮殿は、楼閣がそびえ立ち、城壁には厳重な警備が施され、常に武装した人々で警固されておりました。   ・    ・  ……(ここから先は、小説用の架空の話と思われる)…… 女王陛下の都の東、海を渡って千余里のところには、再び国々があり、そこも倭国の同じ種族です。 その南には〝侏儒国Zhūrú guó(伝説上の異国という意味の、神話的要素を含む中国語)があり、人々の身長は三尺から四尺で、女王陛下の都より四千余里の距離に位置します。 また、裸国と黒齒国はその東南にあり、船で一年をかけて到達することができます。 ……(小説用の追加エピソード ここまで)……   ・    ・  倭の地を調べるに、海中の島々に位置し、島々は断続的に連なり、周囲は五千余里に及ぶ大国です。

📼 魏の王様の側近 一人語り風

『魏』からの使節団は、ある程度まとまった期間、彼の地に滞在しながら、何度も我が国と行き来をしてきたわけですが、彼の地は想像以上に近代化された政治システムで、先代の王の敷いた優れた王政に、我が国の使節団が驚いていたことがわかりますな。 貿易関係者や政府要人は、文字の読み書きどころか、王族同士の外交関係の儀礼にも通じており、そのエリート側近達もまた、外交儀礼のプロであったことがわかりますな。 倭国は、この時点ですでに『王国』としての風格を持っており、我が国から見ても扱いが大変丁重なのが分かりますな。

🎓 当時の日本は、想像以上の大国だった??

新政権の誕生の報は、国際的な祝賀のイベントとして、王朝間の交流(魏国と日本)を築く絶好の機会となります。 もちろん、タダで近づくのではなく、お互いが思惑を持って接近を計るわけですが、今回は〝魏国〟が日本との友好関係を築きたい思惑があり、贈り物を携えた使節団を送ってきています。 ちなみに、先代の神武天皇は、中国が三国分裂する前の統一国家、〝後漢〟との交流がありましたが、『魏志倭人伝』は〝魏国〟のみの視点なので、他の王朝と日本の関係には触れられていません。 もしかしたら、記録が発見されてないだけで、他の国々とも交流があった可能性も考えられます。 実際〝魏国〟は、日本の30地域との交流があるとの記述が【第1部】にあり、中央政府の許可を通さない勝手な輸出入は「大率」と呼ばれる港の責任者によって監視されていた とありますから〝魏国〟以外の国とも、通訳の滞在や取引はあったと考えられ、想像以上に『邪馬台国』(日本国)は大国だった可能性もあります。

王遣使詣 京都 帶方郡 諸韓國 及 郡使倭國 皆臨津捜露 傳送文書 賜遣之物詣女王 不得差錯

女王国は使者を 魏の都 帶方郡(北朝鮮域) 諸韓国 及び〝魏〟が倭国に派遣するに際し 皆津で捜索し 文書を伝え 女王に贈る物を遣わす 誤りは1つもあってはならぬ

この文からも、女王国による外交儀礼の知識の正確さに、「大国を思わせる」と派遣団側が驚いてます。 「傳送文書」(文書を伝え)は、使者が持参した国王からの文書や書状を受け取り、それが正式なものであるとともに、贈り物の中身と目的を確認していたことを指します。 女王が受け取れば、その「国王からの外交目的」の受諾。逆に、交渉決裂の場合は、受け取らずにその旨伝える。 まずは港での判断を、「大率」と呼ばれる責任者が行っていた。 誤りあってはならぬ! という部分は、外交儀礼における判断ミスは、国家間の衝突につながるので、これらのプロセスが大変重要なことであり、誤りや過失があってはならないという、最高レベルの厳格さを強調しています。 NEXT『魏志倭人伝』の全訳と邪馬台国の解説 その4










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